文字数制限があったので、こちらに続きを書きますね~。

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ところで、話をさらに進めると・・・。

性同一性障害の人というのは、「自分の体(の性)」ですらも「受容できない」、つまり、「受容力」の非常に低い人たちであるということができます。最近の若い世代は特に、あまり苦労をしていませんので、辛抱する力がないということが原因なのかもしれません。それに対して、社会は、「かわいそう」と思って、それを「甘やかし」、彼らの「受容力」をレベルアップするの助けるのではなく、彼らの低い「受容力」に合わせて、制度のハードルを下げようとしているわけです。

先日、障がい者の方の葛藤・克服のことに触れましたが、彼らだけでなく、災害で家財を失った人、愛する家族を失った人・・・など、世間には、数多くの人々が、たとえ自分の置かれている状況を不本意に感じていても、その状況と折り合いをつけて、葛藤を克服し、苦難を乗り越えて、人間としてさらに大きく成長しているものです。人間には、それなりの潜在的な力強さがあります。

一方、性同一性障害の人たちは、そういう葛藤を克服する過程(=リハビリ)がしんどいために、それから早々と逃避していないでしょうか。そして、社会は、そのような彼らを「甘やかし」、そのような自分のレベルアップをするために必要な「リハビリ」を免除しても生活できるようにしようとしています。ただし、リハビリを免除するということは、いわば、一生、自分の足で自由に立って歩くことができないということなのですが・・・。

性同一性障害の人たちの「受容力」の低さ、そして、社会の「甘やかし」、その甘やかしが、さらに、彼らの「受容力」を萎えさせ(強めることは決してありません)、さらに、「甘やかして」、ハードルを下げていく・・・。この悪循環の繰り返し。

↑・・・こんなことで、世の中が良くなるはずがない!! むしろ、ダメになる一直線コースなのでは?!・・・と私は言いたいわけです。

このダメなパターンは事前に回避できると思うのです。この点は、いかがでしょうか。

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ところで、もうすぐ、締め切りなのだと思いますが、この議論、もう少しお付き合いしていただくことは可能でしょうか? もし可能なら、パート2を作りたいと思っていますが。



最終更新日時: 2022/09/02 12:25

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