渡鴉の羽根休め




その日は、やけに冷え込んでいた。まだ暦は秋だと言うのに、空は垂れ下がらんばかりに雲が覆い、乾いた北風が肌を切るように吹いてくるような、そんな日の事だった。

「…ふぁ…ふぇっくしょん!」

その日ちょうど手紙を運び終えた私は、朝方から来たる冬の準備のためにバイクで我が家へと向かっていた。冬と言うのは、文明が滅んだ現代に於いては文字通りに自然の厳しさが襲いかかってくる恐ろしい季節で、気温はもちろん、乾燥や体温低下からくる体調不良、食料面でも不安が生じやすい。しっかり準備を済ませておけば大丈夫な問題が多いのだが、前年は地球温暖化の反動なのか冬入りが非常に早く、まだ大丈夫とたかを括っていた私は見事に地獄をみる羽目になった。そのため私は、秋口の始まりにはすでに冬の準備をしておくように去年から決めていたのだった…が…

「寒い…まだ11月にもなってないのに…」
チーン

鼻水をかみながら、そんな言葉を漏らす。どうやら昨年よりもさらに冬が早く訪れたようだ…と言うよりは、そもそもの平均気温が下がっているようにも感じられる。無論体がまだ寒さに慣れていないと言う点もあるだろうが、それにしてもその日は寒かった。根本的な気温の低さもあれど、それに追い討ちをかけるのが向かい風。バイクと言うのは移動手段としてみれば大変優れているのだが、一つ快適性といった面で評価するとなると少し厳しいものがあり、屋根はおろか覆いすら付いていないこのバイクでは走っている最中体は向かい風によって強制空冷されてしまう。コレがまぁ冷える冷えるで、軽便で取り回しやすく、燃費も高く悪路に対する耐性も悪くないなど非常に優れた私のバイクだが、この”強制肉体空冷システム“だけは参ったものである。

「……一度、日が上がるまで待とう」

昼になれば多少はマシになるはず──あまりの寒さに参ってしまった私は、そんな淡い期待を込めて一度休憩することにした。冷たい風をずっと走ってきたので、もうとにかく風の当たらないところで休みたい…こんな時は手頃な廃墟を見つけて休むに限る。地図を開くと大体1マイルぐらいの場所にちょうど家が三軒ほど固まった場所を見つけ、私はバイクのアクセルを開いたのだった。

───────────

そこそこに飛ばしたせいか、思いの外早く到着した。まぁたった一マイル程度だったし、案外こんなものなのかもしれない…さて、肝心の建物の方だが…

ガラッ…
「あちゃあ…まぁ若干わかってたけど…ひどい…」

かろうじて一軒は建物の形を為しているものの、残りの二軒は見事に全壊。どうにも基礎が腐っていたようで、瓦礫の上にかぶさった屋根だけが原型を留めていた。残る一件も形は残っていれどもその外壁は蔦まみれ、この調子ではおそらく中も植物天国状態であろう。流石にコレの中には…

パラ……パラパラ…ヒュォオー…

……雨が降ってきた上に北風が真っ赤になった耳を切る。コレは入れと神が急かしているに違いない…あぁそうか、ならば行かせてもらおう。扉の前に立ち、蔦を力づくで引き千切る…ええいままよ。こうなれば鬼でも蛇でもどうとでもなれ…!

ガチャ…ギィー…
「…え?」

思わず声が出る。外の植物天国状態とは打って変わってその中は非常に綺麗で…いや待て、いくらなんでもコレは綺麗すぎる。普通人がいなくなった建物は空気が溜まり込んでカビが…

…ゥ…ィ…

待った、そういうことか。って事はこの壁のボタンを押せば…

パチッ
パッ

…やはり灯いた。うっすらと聴こえたモーターの音…空気のあまりの綺麗さ…そこから導き出されるのは換気扇が未だに機能しているということで、それは理由はどうあれ電気がまだ通っているという事に他ならない。部屋の中は非常に綺麗であり、多少埃が積もっている以外は特に荒らされた形跡もない。部屋には机とテレビとベッドと…まぁ近代的な家具は全て揃っており、奥の方には階段と二つの扉…おそらく、風呂とトイレが存在している…コレは……とんでもない上物物件を見つけてしまったかもしれない。

「……ふぁあ〜…あ」

柔らかなあくびが出る。ベッド……は流石にダニが繁殖しているだろうし、やや心惜しいが大人しく寝袋で寝ることにする、ベットが目の前にあってベッドで眠れないというのは非常に残念だが…一度外に出てバイクに積んでいた寝袋を取り出し、バイクにもカバーをかけておく。いやはや思わぬ大収穫…多少軋みはするが床板もほとんど悪くなっていない。木の床の上に寝袋を引き、ジャケットをその辺の机の上にほっぽり出してシャツとズボンだけになり寝袋に寝っ転がる……あぁ、体温が低いから眠気が…地味に朝が早かったから………すぐ…寝る……

───────────

……
………
…………

『…』
「……まさか、こんな事になるなんてねぇ…」

どうしたの、二人とも。熱心にテレビなんて見て

『ぁ、ラーニャか…そうだな、どうしたもんかなぁ…』
「ちょっとお父さん、貴方がしっかりしなくてどうするの……気持ちは、わかるけど…」

…?

『…ラーニャ、お前は“政治家”ってのは分かるな?』

うん。国とか世界を動かしてる偉い人達…でしょ?

『あぁ、そうだ…今さっきニュースで、その“政治家”…いや、国の“上層部” と言った方がいいか。そういう人間が宇宙へと逃げたらしい』

えっ……政治家とか偉い人が消えたって事だよね。って事は今この国はいわゆる無政府状態って事で…

『ラーニャ、今この国は環境汚染に大規模気候変動、それだけじゃない。とにかく数え切れないぐらいありとあらゆる問題を抱えている。犯罪率だって決して低い訳でもない』



『…もう、あと数ヶ月もすればありとあらゆるライフラインはストップし、この国の文明は“停止”する。そうなれば物資の奪い合いは日常茶飯事になり、現実逃避のために薬物のディーラーが大手を振って歩くのが日常になるだろう。文明レベルは石器時代まで先祖返りし、弱肉強食の力が支配した頃にまで遡る』



『……ラーニャ、こんな情けない大人達ですまない。大人は…導くべき存在が、君たちの守られるべき未来を壊してしまったんだ……クソっ…』

「お父さん…」

お父さんは悪くないよ…悪いのは逃げた大人達で…

[速報です、たった今、国家上層部が別惑星への移住のためロケットを打ち上げたとの情報が…]

………………

パァン!

『いやぁラーニャも随分と上手くなったなぁ!』

えへへ…そんな上手くないよ…お父さんの方が何倍も…

『…いや、お前の方が間違いなく上手だ。お父さんは経験があるから上手なだけで…お前には素質がある』
「お父さんはすぐ褒めるわねぇ…ラーニャー?ちゃんと後でお母さんと勉強するわよー!」

はーい

『ははっ、母さんは厳し……っラーニャ!』

…え?

ピカッジュゥッ!
ドーンッ!!

ッあぁあああァアア

…………
……

─────────

「アぁアぁあぁ……ぁ…」

「…あぁ……」

焼ける激痛に跳ね起き……いや、全く熱くも痛くもない……どうやら久しぶりに夢を見ていたようだ。私が“左目を失うこととなった日”の夢…どうせ久しぶりに見るのなら、もう少しマシな夢を見たかった。一度たち上がり、近くにあった椅子を引いてゆっくりと腰掛ける。

「ふうっ……………………」
「…………ッ…変わらないなぁ…」

左目のあったあたりに指を持っていくと、ゴツゴツと変質した皮膚が指先に触れる…あの日私は原発の爆発事故に巻き込まれ、ちょうど左目の部分を負傷…私の左目は潰れ、皮膚は溶けてケロイド化。無事だった右の眼球も変質し、髪も幾束かが白化。父母は被曝の後遺症で死亡した…改めて振り返ると、よくもまぁ生きている物だ。本当なら、私はとっくのとうに死んでいたのだろう。だが先に死んだのは父と母…私は、父と母の寿命を吸って生きながらえたのだろうか…だとしたら私は…

ウォォォォン…
「………ぅあ?」

…ふと、何か冷蔵庫の動くような音に気づく。外に誰かが来たのだろうか…だとするとマズイ。久しぶりに落ち込んでいた脳が急激に現実へと引き戻される。いやしかし玄関には蔦が…確認のため、窓から恐る恐る顔を出してみる…が、外はただ夕焼けの紅い光が降り注いでいるだけで、それらしき音を発しそうな物体はない。どうやら、思いのほか眠っていたらしい…いや、それはともかくとしてこの音の正体はどこから…耳を立てて、音の出どころを探る……

「……階段?」

よく耳を済ますと、その音は階段の方から聞こえていた。この家は二階建てだった…というか事は二階に何かが…猫のように気配を探りながら階段の方へと移動してみる…が、その音は二階からではなく…

「…地下…か」

…その階段の裏に隠れていた、地下へのハシゴから聞こえていた。

─────────

「よっ…ほ…っと、高さ時代はそんなでもないですね」

バイクに積んでいた懐中電灯で周囲を照らす…どうやらコンクリート打ちっぱなしのようで、所々に欠けたのであろう小石が散らばっていた。高さは頭がぎりぎりぶつからない程度で、狭い。そしてその狭い通路の奥から、その音は聞こえてくる…

「…誰かいますか〜?」

当然返事はない、声は真っ暗な通路の闇の奥へと消えていった。降りてきてしまってなんだが、よくもまぁ得体の知れないさっき入ったばかりの家で、たまたま聴こえた音の正体を追おうなどと考えたものだ。普段ならばまず間違いなく気にせずに荷物を整理し、今頃は旅に戻っていたであろう。もしかすると先程見た夢のせいで神経質になっているのかも知れない…そんな風なある種の自問自答をしつつ、通路の奥へと歩いていく。

ウォォォンン

徐々に音が近づいてくる………そして、急に通路が開け、部屋のような場所に出る。たまたま見つけた近くの壁のボタンを押せば、灯りがつい───

「────氷漬けの……人間…?」

部屋がパッと明るくなると同時に、部屋の中央の装置に目が釘付けになる。霜が浮いた卵型の水槽の中には
、確かに子供が一人氷漬けで眠っていた…あまりの出来事に一瞬思考が追いつかなかったが、近くにあった制御盤らしき機械の電源ランプが点灯していること、そして先程から聞こえていた謎の音を発していたことから、間違いなく“稼働している”事は確かだった。

「…………助け…なきゃ」

自分でも無意識のうちに、そんな言葉を発する。きっと先程までナーバスな気分だったからであろう。思考は行程と言う階段を飛び降りて、今はただ眼前にいる氷漬けの少女を助ける事だけに、意識が切り替わっていた。と言っても焦っても仕方がない…一度深呼吸をし、改めて周囲を見渡す。部屋は四角く、床には所々になんらかの書類のようなモノが散らばり、中央には例の装置、向かって右側の壁一面は制御盤になっており、奥の壁にはホワイトボードがかかっていた。まずは手がかりになりそうな散らばった資料を読んでみる。

「PHC-1…強制冬眠装置……政府上層部認可…これじゃない、観察計画打ち切り…速やかにロケットに…コレでもない、……あった!制御盤操作法!」

タイトルにそう書かれた紙を見つけ、読み進める……なるほど、おそらくコレは凍結解除で良いのだろう。ならば…このボタンを押し……テンキーでパスワードを入力…!?クソっ、なぜ大人と言うのはこうもパスワードを付けたがるのだ…!何か手がかりは…制御盤の隅っこに書いてたり…紙の裏側…いや、装置の方に…あった数…いや、桁数が合わない。おそらくシリアルナンバーか何かだろう……ともかく頭に思いついた場所を片っ端から調べていく…が、見当たらない。床に落ちていた紙全てを見てみたが、それらしき数字はない…腰が痛くなってきたので、ふっと体を起こすと…

[私の代%にこの予を0##上げて<だ5い:78914]

ホワイトボードに、そんな一文が書いてあるのを見つけた。乱雑に書き殴られているが、意味は分かる。ああ、起こしてやろうとも…!

「ボタンを押して、点検ランプが点滅したらテンキーで…78914…そして排出レバーを下せば…!」

ガコンッ!ウィィイイン!
《解凍を開始します》

「…よしっ!」

成功だ、やってやった。アナウンスの声と共に、ガラスについた霜が急速に溶けていく。

《…解凍を完了しました。コンテナを開きます》

……ごくり

──────────────

…あ…ぁ…?
どこだここは…?
…誰だこいつは……母上はどこだ…?
分からん……分からん……

『だぃ で か…!だぃ で か!?』

声が遠くて…何を言っているか分からん…それに…寒い…一旦……眠ろう……ははうえ………

………




「…うぁ」
『…!起きましたか!?』
「あぁ起きたぞ…母上…いまはおひるか…?」
『…あぁ…良かった…………ふぅ、今はお昼じゃなくて、もう夜ですよ。』
「そうか…すまない母う…………」

……あ?

「…誰だお前ぇっ!!??」
『えっあっすいませんっ!?』


To be continued…



最終更新日時: 2021/10/31 14:25

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