穂門伊美空の△月□日
──その日は、いやに日差しが眩しくて、
───恨めしくも空気の澄んだ日だった。
△月□日、快晴。風力階級3、風向は北北西。
旧渋谷駅屋上、○八五○、定刻十分前。
夏らしい突き抜けた日差しが肌を焦がす。もともと色白だった肌も気付けばすっかり小麦色。本当ならば日焼け止めの一つでも塗りたいところだが、ただでさえ終末の物資が足りていないこの世界で文句は言っていられない。
「───バイポット、セット」カチンッ
「これで銃のセッティングは終わり、次は…」
下らない思考を脳内の余剰スペースで巡らせつつセッティングを…つまりは、今回の作戦のための諸々の準備を進める。旧渋谷駅の屋上、おそらく世界が滅ぶ前なら灼熱のコンクリートに寝転ぶことになっていただろうが、既に屋上は風化しきっており、風で飛ばされた種子が根付いたちょっとした草むらにまでなっているのは幸いだった。
「………」サァ~
「………いい風、いい空だなぁ」
「……地上を見なければ、だけど──」
…緊急特三号防衛司令、通称「あ号作戦」。その作戦が出たのはおよそ三週間前の事。太平洋沿岸で観測されたAngelの大軍を阻止するため、bouquetはトーキョー内の各所に全メンバーを投入して要塞化する大迎撃作戦を計画、実行。結果は戦術的な成功を収めたものの、僅かながら一部がトーキョー内へと侵入し潜伏。
今回私たちが駆り出されたのは、その中でも特に数が多いシブヤ・スクランブルクロッシングエリア。地上には既に数体のAngelが確認できている…ということはつまり、この付近には既にそれより多くのAngelが居るということである。
「……なんでよりによってあんな気味悪い見た目なのかなぁ…もうちょっとカッコいい敵だったらやる気も出るんだけど…」
……誰に言うでもない冗談を飛ばす、何かを口に出して言わなければやってられなかった。
───────────────────────
「──こちらミソラ、配置に着いたよ。そっちは?」
『こちらイロハ、地点β到着、こっちも大丈夫』
そんな風に設営を終えれば、通信機のイヤホンから聴きなれた声が聞こえる。死んでいく人間の多い中でも数少ない、年こそ一年離れているものの、それを感じさせないほど親しい友人の声だった。
『いーなミソラちゃんは、風があって涼しくてさー』
「いやいや、待機は屋内の方がいいよ。こっち直射日光だから作戦前から体力削られてやばいもん」
『あーそれはやだね…』
「そうそう、そっちはまだ暑い〜って感じじゃん。こっちもう“熱”だよ?銃で目玉焼き焼けちゃうよ?」
『…すごいねミソラちゃん…』
「でしょー?あ、そうずっと言おうと思ってたんだけどさ!イロハちゃん最近お化粧上手になったよね!」
『!…いやー、そんな事ないよ〜!』
作戦開始五分前、いつも通りの他愛もない会話。中身は特にないけれど、こうして生命がいつ絶えてもおかしくない場所に生きる私たちにとって、大事なのは内容よりも”誰かと楽しくおしゃべりする“ということなのだと思う。まるでインチキな心理学者が言いそうなセリフだけど、私にとっては真実だ。
「────囲まれないように気をつけてよイロハ、そっちは近接武器なんだからさ」
『もちろん知ってるよ、だいじょーぶ。今まで何回も戦ってきたんだもん、今更どうって事ないよ』
「そうはいうけどさー」
『………あっ…』
「…どうかした?」
『…やっぱり爪…ううん、大丈夫』
「そう?…あ、そういえばマニキュアしてたねイロハ…もしかして取れちゃった?」
『…そう、取れちゃったの!さ、ミソラちゃん一分前だよ!』
「うわ本当だ!後でねイロハ!」
『うん、バイバイ』
どこか妙に引っかかるが、まああの子なら大丈夫だろうと受信機の電源を手探りで探す。私が使っているのは古い受信機、雑音さえなければ良いのだが流石にノイズを垂れ流しながらではまともに集中できやしない。
「…………あ、あったあった」
カチリ
無機質な音ともにツマミはOFFへ。
そうして、通信は終了された。
──────────────────────
○九○○、定刻。
時計の針が12を差した瞬間周囲に響く爆発音、イロハが放った陽動弾だろう。その音が周囲に伝わるにつれて、まるで爆破漁でもしたかのように白い有象無象が現れる。
「───来た」
友人の方を向いていた体の向きを反転させ、地べたへと伏せ視界をスコープの中へと移し替える。私が取り逃した獲物を彼女が処理する…円形の視界に写るのは100m先の白いドレーブに包まれた白い肉体。
「──────。」
パァンッ!
白い肉体は弾け後方へと吹き飛ぶ、さぁ次だ。
「─、─、─、─、」
パァン!パァン!パァン!────
………
「─、─、───、」
……
「──、─、─」
…
およそ戦闘とは感じられない果てしなく単調な作業、照準、撃発、排莢、装填。
「──、」
それは時間感覚を狂わせるのには十分であり。
パァン
同時に、私を私だけの世界へと引き込む。
「────。」
…
───────────────────────
………
どれほどの時間が経っただろうか。
「…………」
スコープから眼球へと視界を戻す。その視界にはもはや白く忌々しい存在はなく、ただその残骸が雪のように積もっているのみだ。鉄のようだった心と体をほぐすように立ち上がって身体を動かす。
「……終わったかな」ヒュォオ…
いつの間にか風がすっかり強くなっている、スコープの自動補正がなければまずかったな…
カチリ
「イロハ、こっちは大分済んだけど─」
『あぅっ!っあぉぅぐえぇ!え゛ぇっ!』
がきん、ぐしゃり
スピーカーから金属音混じりに聞こえてくるのは信じがたいほどの声…いや、もはやそれは声ですらなくさながら獣が揚げるような悍ましい叫び。コイルによって引き起こされた磁石の振動は空気へと伝わり、耳の中へと入って背中を駆けずる。
三秒、身体は動かなかった。
「──イロハ?」
『あぁあっミソラぁっ!みそらぁ、っぅう!』がきん
「…イロハ…!?イロハどうしたの!」
『うぅああミソラあぁ…っが…っ逃げぇぇ』ぐしゃぁ
「─待ってて今助けるから絶対生きててっ!!」
『いいからあっ!!』「──え?」
『…私っ……助かったってもうすぐ死んじゃうからっ!イヴは…私達に対しても働くの…っ…!?』がきん
「──なにを」
『あぐぅうぃっうぃたいっっ!!』ぶちんっ
その声を聞いて体よりも先に意識が動いた、それをトレースする様に身体が追いつく。銃ごと体を反転、鉄の音ともに大地へと落ちた二脚からの振動を抑え込みスコープを覗く、その景色は一面の白。まずい、焦りすぎた。まずは肉眼でおおよその場所を…うん、白…?
「……ぁ……?」
…掠れたような”ä“の音が喉の奥から搾り出される。視界に移ったのはまるで雪のように地面が真っ白になった場所、そしてその中央にある赤いシミ。脳が理解を拒む、あの白いのは死体じゃない。あれは“蠢いている”。
「………」
恐る恐るスコープを覗いた先にあったのは、もはやミンチ肉と化した肉塊と次々突き立られる大鎌。その横にある”何か幕のようなものをつけてもがいている肉塊”は、
『ぅぐ…ぃ……いぉおもいにころっ…え…』
スピーカーから出される絞り出すような声と同期していた。
「(…あ)」
「(アレを助ける、どうやって?)(とりあえず、助けなきゃ)(あの数の敵を撃って助けられるのか?)(それに銃声を聞かれたらこっちに注意が……)(私には無理だ)(敵が全員殺せるわけがない)(まずは援軍をよんで)」
数多の思考が同時に脳内を埋め尽くs───
「(───私いま自分の保身のこと考えた?)」
『─────おびゅ?』ぐしゃっ
「───あ」
無線機から何かが潰れる音がすると同時に、スコープの先で何かが飛び散る。がきんがきんという音は絶え間なく響いているが、先程まで聞こえていたうめき声は全くなくなって、それはつまり。
理解している、理解しているが、理性ではなく感情が理解を拒んでいた。そしてそれを確かめるために言うべき言葉を、私は怖くて怖くて、言い出せない。
「───死んでないよね」
辛うじて、口を開く。
口はいつの間にか空いていて、喉はカラカラだった。
『────』がきん
「ねぇ!!?」
『──』がきん
「…死んじゃったの…?」
『─』がき
ぶちっ…
ホワイトノイズだけが当たりを埋め尽くす。
無線は壊れたようだ。
スコープから目を離す。
「………ふ…」
「……ふふ…あはは…ふふっ…」
気付いたらわらっていた、泣けない。
「…くふふ…っふ……あふっ…くっふふふ…」
そして。私の中で。何かが。
ぱきり、と鳴った気がした。
───────────────────────
「………こちら穂門伊。応援を要請」
[──こちらHQ、相棒はどうしたカレンデュラ]
「もういない」
[…了解した。帰還中のエタンセル二人を向かわせる]
[キミたちは“稀少な人材”だ、無茶な行動はするなよ]
「…了解、オーバー、アンドアウト。」
「──」
空が綺麗だなぁ
穂門伊美空の△月□日 ──その日は、いやに日差しが眩しくて、 ───恨めしくも空気の澄んだ日だった。 △月□日、快晴。風力階級3、風向は北北西。 旧渋谷駅屋上、○八五○、定刻十分前。 夏らしい突き抜けた日差しが肌を焦がす。もともと色白だった肌も気付けばすっかり小麦色。本当ならば日焼け止めの一つでも塗りたいところだが、ただでさえ終末の物資が足りていないこの世界で文句は言っていられない。 「───バイポット、セット」カチンッ 「これで銃のセッティングは終わり、次は…」 下らない思考を脳内の余剰スペースで巡らせつつセッティングを…つまりは、今回の作戦のための諸々の準備を進める。旧渋谷駅の屋上、おそらく世界が滅ぶ前なら灼熱のコンクリートに寝転ぶことになっていただろうが、既に屋上は風化しきっており、風で飛ばされた種子が根付いたちょっとした草むらにまでなっているのは幸いだった。 「………」サァ~ 「………いい風、いい空だなぁ」 「……地上を見なければ、だけど──」 …緊急特三号防衛司令、通称「あ号作戦」。その作戦が出たのはおよそ三週間前の事。太平洋沿岸で観測されたAngelの大軍を阻止するため、bouquetはトーキョー内の各所に全メンバーを投入して要塞化する大迎撃作戦を計画、実行。結果は戦術的な成功を収めたものの、僅かながら一部がトーキョー内へと侵入し潜伏。 今回私たちが駆り出されたのは、その中でも特に数が多いシブヤ・スクランブルクロッシングエリア。地上には既に数体のAngelが確認できている…ということはつまり、この付近には既にそれより多くのAngelが居るということである。 「……なんでよりによってあんな気味悪い見た目なのかなぁ…もうちょっとカッコいい敵だったらやる気も出るんだけど…」 ……誰に言うでもない冗談を飛ばす、何かを口に出して言わなければやってられなかった。 ─────────────────────── 「──こちらミソラ、配置に着いたよ。そっちは?」 『こちらイロハ、地点β到着、こっちも大丈夫』 そんな風に設営を終えれば、通信機のイヤホンから聴きなれた声が聞こえる。死んでいく人間の多い中でも数少ない、年こそ一年離れているものの、それを感じさせないほど親しい友人の声だった。 『いーなミソラちゃんは、風があって涼しくてさー』 「いやいや、待機は屋内の方がいいよ。こっち直射日光だから作戦前から体力削られてやばいもん」 『あーそれはやだね…』 「そうそう、そっちはまだ暑い〜って感じじゃん。こっちもう“熱”だよ?銃で目玉焼き焼けちゃうよ?」 『…すごいねミソラちゃん…』 「でしょー?あ、そうずっと言おうと思ってたんだけどさ!イロハちゃん最近お化粧上手になったよね!」 『!…いやー、そんな事ないよ〜!』 作戦開始五分前、いつも通りの他愛もない会話。中身は特にないけれど、こうして生命がいつ絶えてもおかしくない場所に生きる私たちにとって、大事なのは内容よりも”誰かと楽しくおしゃべりする“ということなのだと思う。まるでインチキな心理学者が言いそうなセリフだけど、私にとっては真実だ。 「────囲まれないように気をつけてよイロハ、そっちは近接武器なんだからさ」 『もちろん知ってるよ、だいじょーぶ。今まで何回も戦ってきたんだもん、今更どうって事ないよ』 「そうはいうけどさー」 『………あっ…』 「…どうかした?」 『…やっぱり爪…ううん、大丈夫』 「そう?…あ、そういえばマニキュアしてたねイロハ…もしかして取れちゃった?」 『…そう、取れちゃったの!さ、ミソラちゃん一分前だよ!』 「うわ本当だ!後でねイロハ!」 『うん、バイバイ』 どこか妙に引っかかるが、まああの子なら大丈夫だろうと受信機の電源を手探りで探す。私が使っているのは古い受信機、雑音さえなければ良いのだが流石にノイズを垂れ流しながらではまともに集中できやしない。 「…………あ、あったあった」 カチリ 無機質な音ともにツマミはOFFへ。 そうして、通信は終了された。 ────────────────────── ○九○○、定刻。 時計の針が12を差した瞬間周囲に響く爆発音、イロハが放った陽動弾だろう。その音が周囲に伝わるにつれて、まるで爆破漁でもしたかのように白い有象無象が現れる。 「───来た」 友人の方を向いていた体の向きを反転させ、地べたへと伏せ視界をスコープの中へと移し替える。私が取り逃した獲物を彼女が処理する…円形の視界に写るのは100m先の白いドレーブに包まれた白い肉体。 「──────。」 パァンッ! 白い肉体は弾け後方へと吹き飛ぶ、さぁ次だ。 「─、─、─、─、」 パァン!パァン!パァン!──── ……… 「─、─、───、」 …… 「──、─、─」 … およそ戦闘とは感じられない果てしなく単調な作業、照準、撃発、排莢、装填。 「──、」 それは時間感覚を狂わせるのには十分であり。 パァン 同時に、私を私だけの世界へと引き込む。 「────。」 … ─────────────────────── ……… どれほどの時間が経っただろうか。 「…………」 スコープから眼球へと視界を戻す。その視界にはもはや白く忌々しい存在はなく、ただその残骸が雪のように積もっているのみだ。鉄のようだった心と体をほぐすように立ち上がって身体を動かす。 「……終わったかな」ヒュォオ… いつの間にか風がすっかり強くなっている、スコープの自動補正がなければまずかったな… カチリ 「イロハ、こっちは大分済んだけど─」 『あぅっ!っあぉぅぐえぇ!え゛ぇっ!』 がきん、ぐしゃり スピーカーから金属音混じりに聞こえてくるのは信じがたいほどの声…いや、もはやそれは声ですらなくさながら獣が揚げるような悍ましい叫び。コイルによって引き起こされた磁石の振動は空気へと伝わり、耳の中へと入って背中を駆けずる。 三秒、身体は動かなかった。 「──イロハ?」 『あぁあっミソラぁっ!みそらぁ、っぅう!』がきん 「…イロハ…!?イロハどうしたの!」 『うぅああミソラあぁ…っが…っ逃げぇぇ』ぐしゃぁ 「─待ってて今助けるから絶対生きててっ!!」 『いいからあっ!!』「──え?」 『…私っ……助かったってもうすぐ死んじゃうからっ!イヴは…私達に対しても働くの…っ…!?』がきん 「──なにを」 『あぐぅうぃっうぃたいっっ!!』ぶちんっ その声を聞いて体よりも先に意識が動いた、それをトレースする様に身体が追いつく。銃ごと体を反転、鉄の音ともに大地へと落ちた二脚からの振動を抑え込みスコープを覗く、その景色は一面の白。まずい、焦りすぎた。まずは肉眼でおおよその場所を…うん、白…? 「……ぁ……?」 …掠れたような”ä“の音が喉の奥から搾り出される。視界に移ったのはまるで雪のように地面が真っ白になった場所、そしてその中央にある赤いシミ。脳が理解を拒む、あの白いのは死体じゃない。あれは“蠢いている”。 「………」 恐る恐るスコープを覗いた先にあったのは、もはやミンチ肉と化した肉塊と次々突き立られる大鎌。その横にある”何か幕のようなものをつけてもがいている肉塊”は、 『ぅぐ…ぃ……いぉおもいにころっ…え…』 スピーカーから出される絞り出すような声と同期していた。 「(…あ)」 「(アレを助ける、どうやって?)(とりあえず、助けなきゃ)(あの数の敵を撃って助けられるのか?)(それに銃声を聞かれたらこっちに注意が……)(私には無理だ)(敵が全員殺せるわけがない)(まずは援軍をよんで)」 数多の思考が同時に脳内を埋め尽くs─── 「(───私いま自分の保身のこと考えた?)」 『─────おびゅ?』ぐしゃっ 「───あ」 無線機から何かが潰れる音がすると同時に、スコープの先で何かが飛び散る。がきんがきんという音は絶え間なく響いているが、先程まで聞こえていたうめき声は全くなくなって、それはつまり。 理解している、理解しているが、理性ではなく感情が理解を拒んでいた。そしてそれを確かめるために言うべき言葉を、私は怖くて怖くて、言い出せない。 「───死んでないよね」 辛うじて、口を開く。 口はいつの間にか空いていて、喉はカラカラだった。 『────』がきん 「ねぇ!!?」 『──』がきん 「…死んじゃったの…?」 『─』がき ぶちっ… ホワイトノイズだけが当たりを埋め尽くす。 無線は壊れたようだ。 スコープから目を離す。 「………ふ…」 「……ふふ…あはは…ふふっ…」 気付いたらわらっていた、泣けない。 「…くふふ…っふ……あふっ…くっふふふ…」 そして。私の中で。何かが。 ぱきり、と鳴った気がした。 ─────────────────────── 「………こちら穂門伊。応援を要請」 [──こちらHQ、相棒はどうしたカレンデュラ] 「もういない」 […了解した。帰還中のエタンセル二人を向かわせる] [キミたちは“稀少な人材”だ、無茶な行動はするなよ] 「…了解、オーバー、アンドアウト。」 「──」 空が綺麗だなぁ